「そんなに自分がかわいいか。中嶋。
…わかった。なら一人でいるんだな」
判決はくだり、硬質な声でそれだけを言って丹羽は身を翻した。
中嶋にはもう興味を失ったかのように足早に。振り返りもせずに歩いていく。
「に…」
丹羽。
呼びかける事もできなかった。中嶋を拒絶する背中に舌が凍りついていく。
何故だと中嶋は思った。
卒業にはまだ間がある。二人の道が分かれるにはまだ時間があるはずだ。
なのに何故今、丹羽は自分に背を向けて去ってゆくのだろう。
何が起こってしまったのだろう。
今、この時がそうなのだろうか。中嶋は遠ざかる姿を見つめた。
自分は丹羽を失ってしまうのだろうか。
これから何度顔を合わす機会があろうと。
何度言葉を交わそうと。
たとえずっとそばにいることができようと。
向けられるのは自分を拒む背中だけなのだろうか。

いやだ。
いやだ。
いやだ。

凍えた舌より早く。足が動いていた。
失えない。と思うよりも早く。中嶋は駆けだしていた。
丹羽の背中に向けて。
「…てつ…!」
どこにも行くな。
一人にするな。
後少し。その背中に手が触れようとした時、
中嶋はタイルに積もった雪に足を取られバランスを崩す。伸ばした手がむなしく空を切る。

行くな。哲也!

転ぶ事よりも丹羽が行ってしまう事の方が怖かった。

覚悟した衝撃がやってこない事に気づいて。中嶋は思わず閉じていたらしい目を開けた。
「哲也…」
「ああ。驚いた。受け身の一つくらいとれよ」
中嶋を抱き留めたらしい。丹羽が笑って中嶋をのぞき込んでいた。
丹羽だ。
中嶋は丹羽の革ジャンを握りしめている自分の手を見つめた。
では手は届いたのだ。
中嶋は震える手を丹羽の背中にまわす。
硬く弾力のある革の感触が嘘ではない事を中嶋に教えた。
中嶋は腕に力を込めた。
丹羽がいる。ここに。
自分の腕の中に。
丹羽の肩に頭を預けて中嶋は静かに息をついた。これ以上何を隠す事があるだろう。
手は伸ばせば届くのだ。
「…お前を捜していた。
理由は…理由は会いたかったからだ」
「ああ」
わかっていると言うように丹羽の腕が中嶋の体を包み込む。
凍えた体に。肩に廻された腕から、寄せた頬から丹羽の体温がしみてくる。
氷が溶けるように、ゆっくりと現実感が中嶋に蘇ってきた。
「なんで会いたかったんだろうな。変だな。特にこれといった用もないのに。
お前はこうやって寮に帰ってくるのに」
「わからないか、ひで」
ひそやかに丹羽が笑う。中嶋の背中をさすりながら。
冷えきった体に熱を分け与えるように強く抱きしめながら。
「寂しいってことだ。それが」
「…まさか」
「違うか?
俺はお前じゃあないからな。本当の意味ではわからないだろう。
でも俺に会いたかったんだろう?
いなくて嫌だったんだろう?
それは寂しいって言うんだ。少なくとも俺にとってはな」
自分をのぞき込む丹羽の目を中嶋は見つめた。引き寄せられるように
どちらからともなく唇が近づいて軽くふれあった。
「寂しかった」
冷えた唇の上で中嶋はちいさく呟いた。
ああ、そうか。この気持ちが。
口に出したとたん言葉は居場所を見つけたようだった。中嶋は舞い降りた寂しさが胸の底にひっそりとすみついた事を知った。薄く自嘲の笑みを浮かべて中嶋は告白する。
「お前がいなくて。寂しいと思った。
きっと春からはずっとそう思うだろうな」
「…ちょっとくらい離れたからってそれがどうだって言うんだ?
これまでの事もこれからの事も、簡単になかった事にするなよ。
俺がいないと寂しいんだろう?
欲しいって、言えよ。
そばにいて欲しいって、言ってみせろよ」
丹羽はまるで愛の言葉をせがむようだ。
自分が丹羽に執着しているのと同じように、丹羽が自分を求めている。
そんな都合のいい事などありはしないのに。
唇を引き結んで中嶋は丹羽を見つめた。
言えない言葉の代わりに背中を抱く手に力を込めて。
そんな中嶋に、どこか痛むような顔で少し笑って。浸み通るような低い声で。
丹羽は子供をあやすように背中に廻した手で中嶋を揺すりながら言葉を続ける。
聞き分けのない子供に言うように。
暗闇に目をふさぐ子供に恐れる事など何もないのだと言って聞かすように。
「言えよ。ひで。
お前が飽きるまでいてやるから。
たとえ離ればなれで暮らしていても、不安になんか思わなくなるまで。
俺が隣にいるのが当たり前のように感じるまで。ちゃんといてやるから」
丹羽の唇が降りてきて中嶋の上に重なる。
凍り付いた唇を溶かすように丹羽の肉厚の唇が中嶋のそれをついばんだ。
「…丹羽…」
「うん?」
「…一生飽きなかったらどうする」
「一生そばにいるさ。
俺は一途なんだ」
告げられる言葉は求婚のそれのようだ。陶然と中嶋は目を閉じた。
丹羽の唇がそっと中嶋の下唇を挟み込む。
軽く吸って。あっさりと離れていく唇を、中嶋は失えないと思った。
たとえこれからどんなに寂しくとも。
どんな辛い目にあおうとも。
失いたくはなかった。
何もなくて完璧な自分だけの空間にはもう戻れない。
もう、戻らない。
息を吐きながらゆっくりと目を開けて。熱心に自分を見つめる丹羽の目をのぞき込む。
するりと言葉が滑り落ちてきた。
「…お前が…欲しい…。哲也」
「ああ」
丹羽が笑う。その言葉を待っていたように。
「お前にやるさ。いつだって欲しいだけ」


もしかしたら心配する事などないのかもしれない。
丹羽の腕の中で唐突に中嶋は気づく。
自分だけではなく、丹羽も自分を求めているのであれば。
自分が丹羽を思う心、その何分の一であろうとも丹羽も自分を失えないと感じているのであれば。


暖かい寮はすぐそこだったが二人はなかなかその場から動こうとはしなかった。
隙間なく抱き合って、キスを繰り返す。
一瞬でもお互いから離れがたいと言うように。
冷たい鼻をすりあわせて中嶋は囁く。
「…携帯に電話、したのか?」
「ああ。もうすぐ着くって時にな」
では部屋から出るとき、携帯は本当に歌っていたのだ。自分の聞き違いではなく。
中嶋はあの曲が聞こえる気がした。
「くそう、鮭もほったらかしだ。一緒に喰おうってせっかく釣ってきたってぇのに」
ほんとうは密漁なんだからな。悔しそうにそう言いながら、丹羽は自分の体に廻された中嶋の腕をつかんだ。いぶかしげに見つめる中嶋に笑って腕を暖かいジャンパーの内側に招き入れる。
「ひで。中に廻せ」
「偉そうに」
そう言い返しながらも。中嶋は素直に従った。薄いシャツ越しの体は暖かい。
「寒いか?」
「いや…。もう寒くは、ない」
お前と一緒だからな。
頭を肩に預け、丹羽の体温を感じながら中嶋は柔らかく笑った。





                                   やがて来る、あたりまえの日々



 

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