中庭を抜け教室棟の脇を通る。
グラウンドを横切り松林に踏み込む。
獣道のような小道を歩きながら。
中嶋はいつの間にか歩き慣れた道を行っている自分に笑いがこみ上げてきた。
学生会の役員から解放され自由の身になったというのに、
自分はまだまじめな副会長役を演じている様だ。いない会長を探して歩く役だ。
しかも探す相手は今、ここ、この島の中にすらいないのだ。
なんて無駄なことだろう。
ばかげたことだと思った。
それでも不思議と中嶋は引き返そうとは思わなかった。
足が自分を運ぶに任せ、松林を抜ける。
暗い海があった。
海は昼の荒れぶりが嘘のように凪いでいた。中嶋はようやく立ち止まる。
わずかに首を巡らせ松の根本にあるベンチを見た。うっすらと白く雪に覆われている。
そこは。
よく昼寝に使われていた場所だった。中嶋が探し当てると、昼寝をしていた男が
まるで中嶋を待っていたかのように目を開ける。
明るい目で中嶋を見上げ、屈託なく笑って、言ったものだった。
季節が変わるのははやいよなあ。
中嶋の耳に声が蘇る。
空気の匂いが違うんだぜ、ひで。
もうここで昼寝しても寒くないな。
去年、聞いた言葉だった。
一昨年も同じ事を言っていた。
今年はそれを聞くこともない。
中嶋はベンチに積もった雪を払うと、腰をかけた。
あのとき見た映像の男そのままに。
あのとき男が自分を見上げたように顔をあげてみる。
中嶋の目に真っ黒い空から降る白い雪が映った。雪は空の一点から生まれてくる様に見えた。ふんわりと羽のように、中嶋の顔に額に柔らかく冷たく舞い降りてくる。
季節はまだ冬だ。
耳を切る冷気を。身体を芯から凍えさせる寒さを感じながら中嶋は思った。
それでももう少したてば暖かい季節になる。
新しい環境で。新しい生活が始まる。

丹羽哲也のいない日々が。

「…っ…」
中嶋はゆっくりと顔を戻した。暗い海を見て奥歯を噛みしめる。
「だから…どうしたって…わけでもないさ」
吐息が白く震えた。
どうなるわけでもない。
自分の世界は閉ざされて完璧で。
他人はむしろ邪魔な存在でしかなかった筈だ。
春からの生活に丹羽がいようがいまいが自分の生活に支障はない。
丹羽にペースを乱されたりすることも、もうなくなるのだ。全てが自分の思い通りになるのだ。
それは待ちこがれていた事の筈だったが、何故だか味気ない思いがした。
今の中嶋に、その新生活は不思議と魅力的に感じられはしなかった。
自転車置き場にぽっかりとあいたスペース。
鳴らない携帯。
丹羽のいない今日のような。
こんな静かな毎日が4月からはやってくる。
横で、飽きるまで聞かされた歌を歌われる事もない。
中嶋の好む音楽はジャズで、興味も好意も持ってはいないその曲をもう聞くこともない。
丹羽はいないのだから探すこともない。
自分は自由で。
一人だ。

「丹羽…っ」
どこにいるのだろう。自分の知らないどこに行っているのか。
自分の捜し出せないどこに行ってしまったのか。
ただ。ただ会いたかった。
今、会いたい。
しがみついて。
どこに行っていたのかと揺さぶりたかった。
どこにも行くなと言いたかった。

いつも追っていた。
丹羽はまるで風の様だった。
自由そのままに、一所にとどめておける男ではなかったから中嶋にできることは
丹羽を探して追って、横に居続ける。それだけだった。
それさえももう4月からは出来はしない。
中嶋には中嶋の進路がある。
丹羽には丹羽の進路がある。
春になれば別々の場所での暮らしが始まる。誰もが待っているだろう春。
けれども中嶋のその春からの日々に丹羽はいない。
丹羽は中嶋の知らない場所に行ってしまう。もう中嶋が追いかけて行けないところに。
きっと探しても探しても中嶋の世界に丹羽はいない。
丹羽は、いないのだ。
中嶋はかたく目を閉じた。
そうすれば自分の中にある見たくないものから目を逸らすことができるかというように。

冬が来れば春が来る。
当たり前の事だ。
出会いがあれば別れだってあるだろう。
わかっている。
頭ではわかっている事柄ばかりだった。
中嶋の中でも何を馬鹿な事をと冷静に呟くものがある。
けれども嫌だと叫ぶ自分がいる。
自分の力ではどうしようもない。
時間を止めることも。季節が巡るのをとどめることも。
丹羽が自分から離れて新しく生活を始めるのを変えさせる事も。
自分が丹羽についていくことさえできない。
何もできない自分に嫌を言う資格なんてありはしない。中嶋は苦くそう思う。
それでも嫌だと思う心すら止められない。
離れたくない。
こらえてもこらえても中嶋の胸に感情はこぼれ落ちてくる。
止めどなく降り続き中嶋の上につもる雪のように。
耳の奥にいつか聞いた声が蘇る。
『灰色?これはなあ、鉛色って言うんだ。
お前、細かいくせにこういう事には無頓着だよなあ。ひで』
自慢げに冬空の色を教えたあの声を手放したくはなかった。
季節の変わり目を教える声を。
何度も同じ調子で歌われる鼻歌を。
丹羽哲也を。
失いたくない。
そうひたすらに思う自分がいる。
他人なんて煩わしいだけだった。自分は一人でもなにも欠けるもののない完全な存在で。
今まで中嶋は他人の手など欲しいなんて思ったこともなかった。
たとえそれが家族であっても。
寂しいとか。
悲しいとか。
そんなことを感じたことはなかった。
だから。
だから自分を包むこの気持ちを名付ける言葉を中嶋は持ってはいない。
春なんて来なければいい。
中嶋はゆっくり目を開けた。降りしきる粉雪で視界は白く黒い。
このまま冬が続けばいい。
体を芯から凍えさせる冷気の中で。ひっそりと中嶋は思った。








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