電話が鳴っている。
むしり取るようにヘッドホンをはずして中嶋は立ち上がった。
携帯電話をおいてある方へ2,3歩歩いて立ち止まり、耳をすます。
何のメロディも聞こえては来ない。
着信は常に振動だけにしている中嶋だったが、一人だけ曲で着信を設定している人物がいた。それは中嶋らしくない出来心からだったが。中嶋の趣味からかけ離れたその曲が携帯から流れ出すことは本当にまれにしかなかった。
相手が束縛を嫌う男で、携帯電話の様なものを滅多に持ち歩かないせいだったが。
ただ、中嶋は男がその曲を口ずさむのをよく耳にした。
何度となく。
そう、何十回聞いたことだろう。
学生会の作業のかたわら。夕暮れ。
寮に帰る道すがら。
並んで歩きながら。
その男が歌う横に中嶋はいつもいた。
低い声で歌われるその曲を中嶋は今では自分が歌えるほどに覚えてしまっている。中嶋には歌う趣味もそんなつもりもついぞないがそこまで覚えてしまった曲だった。
メロディを聞き間違えるなんて事は、ありえない。
そう、思った。
だが聞こえるものは窓をならす風の音と机に投げ出されたヘッドホンから流れ出てくるかすかなリズムだけで。
中嶋は眉間にわずかな皺を寄せて窓辺においた携帯を取り上げた。
二つ折りの機械を開けると、液晶画面に光がともる。たった今目覚めた画面には着信の記録一つない。
怪訝に思いながらボタンを操作する。
最後にかかってきた電話は昨日のものだった。下級生からのもの。
確かに聞いたと思ったのに。
携帯を再び眠らせると、中嶋は知らずため息をついていた。
胸の底から空気が抜けて代わりに重いものが溜まっていく感覚。
例えばさっき窓から見た鉛色の雲のようなものが胸の底に詰まっていくような。
「…別に…」
待っている訳じゃないさ。
自分に言い訳するように呟くと中嶋はさっきまであった場所に携帯をおいた。
立ち上がり歩きかけ、何かを思い出して引き返す。
少し手荒い手つきで機械を開く。
せわしなく目覚めさせられ携帯の画面がぼんやりと眠そうな光をはなった。
浮かび上がる様々な表示。
それらを中嶋は自分では気づかぬくらいの真剣な面もちで見つめていた。
電波の状況は良好。
数多いアンテナが示していた。
中嶋は手早く機械を閉じた。手元でぱちんと言う小気味よい音が上がる。
少しの間手元を見つめると、そんな自分に呆れたように中嶋は携帯をベッドの上に放り出した。

聞こえた筈の。
けれどけして流れようとしない曲に振り回された中嶋は。同じ事を何度も繰り返したあげく、とうとう携帯をベッドにつっこんでしまった。
忌々しげにアンプの電源も落としてしまう。
冬至を越えてしばらく経つとはいえ、外は早々と日が落ちていた。
あれほど吹き荒れていた風もどうやらおさまったようだ。風の音一つしない。
窓は四角い形をした闇だった。灯りをつけない部屋もまた暗い。
その中で中嶋は一人立っていた。
灯りをつけて。ようやくブラインドを開け放したままだったことに気づく。窓に向かい、機械的にブラインドをおろす。
壁と同じ色の羽を閉じると中嶋は箱の中にいる気がした。この箱の中には中嶋一人しかいない。
小さな閉じた空間に中嶋は満足していた。他人が存在しない自分だけの空間。それは居心地よい以外の何物でもなかった。
外の世界とは全く違う。誰にも振り回されることはない。邪魔もされない。ここには自分を煩わす何物もない。
しかし、このとき。
中嶋は今まで感じたことのない居心地の悪さを感じた。息が詰まりそうだ。
静けさに押されたようにふらりと歩き出す。
扉に手をかけ、ふとどこに行こうかと考える。
あてなどなかった。
ただ、今この部屋にいたくはなかった。
…もう、帰ってきているのかもしれないな。
中嶋は扉を開けながらぼんやりと考えた。
ついに鳴らなかった携帯の。その曲を口ずさむ男の声が耳の奥で蘇る。
中嶋は振り返った。手荒く扱ったせいで乱れたベッドに目を向ける。
かすかにメロディが流れている気がした。
ベッドの中で携帯があいつの歌う曲を歌っているのだろうか。今度こそ。
いや。そんなことはないだろう。
無駄と思いながら確認したい気持ちもろとも、中嶋は扉を閉めた。

どこに行くのかも決めぬまま寮を出て、学園島をただ歩き回る。
空調完備の部屋からあてもなく出てきたため中嶋の格好はシャツにカーディガンを羽織っただけの軽装で。冬の空気が突き刺さるようだった。
部活動の練習時間も終わっていた。生徒の大半は風呂か食事か。何にせよ寮に戻っている時間だった。校舎にはもほとんど人影もない。
たまにすれ違う生徒が薄着の中嶋に驚いた様子を見せたが、声をかける隙も与えようとしない中嶋に気圧され遠くから会釈をするだけだった。
ゆっくりゆっくり歩く。
自転車置き場に行きかかる。
この季節、活躍の場をなくした自転車たちでそこはいつも満杯だった。身を寄せ合っているかのような自転車でいっぱいのその一角が、ぽっかりと空いていた。
ああ。
と中嶋は思った。
まだ帰っていないらしい。
バイク、と言うより動く鉄の塊と言った方がしっくり来るような二輪車がいつもはそこに止められていた。どっしりと重厚な車体は普通の高校生が操るには大きすぎ、重すぎたがその持ち主にとってみればそれくらいがちょうどいいらしい。
持ち主にとって見ればその機械はただの移動手段という以上の意味があるらしく、大事そうに磨く姿を中嶋は何回も見た。
それが今はない。
朝からなかったのを中嶋は知っている。
朝、制服を着てここを通った時にはもう消えていた。その乗り手とともに。
中嶋は寒々しくあいたスペースを見た。
全く。こんな天気の中どこに行っているのやら。
朝、同じ事を考えたことをぼんやりと思い出した。








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