やがて来る、あたりまえの日々    by まめたろう



寮の自室で、座り慣れた椅子に腰をかけて。
手にした書類の字面だけは目に入っても、その内容は頭の中を素通りしていく。
何回も同じところを読んでしまう集中力のなさにうんざりしていた中嶋英明は。
サッシの向こうで鳴る風の、甲高い音にうつむいていた顔をあげた。
わずかに顔を巡らせて横目でむき出しの窓を見る。
空は曇っていた。どんよりと厚い雲に覆われている。それは灰色のグラデーションで。
鉛色と形容される色をしていた。
そう教えられた時、鉛など見たことのない中嶋はそんなものなのかと無感動にそれを見上げたものだったが。
今、その重苦しい色に覆われた下では西からの季節風が吹き荒れている。
時折見える白いものは雪だろうか。
暖房の効いたこの室内では感じられないが、強固なサッシを揺らすその風はさぞや冷たいことだろう。
身を斬られる様に感じられる程だろう。
中嶋は気まぐれに見た窓から目を離せなかった。
今年は暖冬だとニュースがさんざん言っていたが、やはり冬は冬。のんびりと、暦を改めてからやってきた寒波は今までの遅れを取り戻そうとしているようだ。あわててそれらしい演出を始めたように中嶋には感じられた。
「冬来たりなば…か」
こっそりと呟いて。呟いた自分に呆れたように中嶋は片頬だけで笑った。
春遠からじ。
きっともう二ヶ月もすればこんな事を考えていたことも嘘のような穏やかな日々が訪れるだろう。
花が咲きほころび、木々には生命感が戻り。
身を包む空気も柔らかい、光輝く日々。
ここで過ごすようになって。今まで気にもとめなかった季節の変化を否応なく気づかされたものだったが。
劇的に変わるその移り変わりを。
二ヶ月後の自分は見ることはあるまい。
どこそこの花が咲いて匂いがいいとか、昼寝によい天気だとか。
いちいちそれを自分に気づかせる男も自分のそばにはいない。
冬が来れば春が来る。
それは当たり前の事だ。
時間は常に流れている。
それは誰にも止めようのない事だ。
目の前にある事実はからりと乾燥していて、中嶋に何の感慨も抱かせない。
出会いがあれば別れはある。
入学すれば卒業しなければいけないだろう。
それだけのことだ。
そう、冷静に中嶋は思っていた。
卒業する。それはここでの生活が終わりになることだ。その期日はもう入学の時から決まっていただろう。留年などという事態にならない限りのびることはない。
ただそれでも別れは来る。
別れは来るのだ。
「当たり前のことだな」
なんの感情も浮かべずに中嶋は呟いた。
寂しいとか。悲しいとか。
そんな気持ちになったりはしない。
オンナコドモではないのだから、やってくる別れまでの日々を数えたりなんて事もしない。
そんな自分を想像すれば虫酸が走るを通り越して、笑いがこみ上げる位だ。
しかし、なんだろう。妙に胸ががらんとしている。
中嶋は知らず胸に手を当てて、物思うように首を傾げた。
自分の肺から肺胞がなくなってしまって、その代わりに乾いた綿が詰まっているようだ。
生物学的にそんなことはあり得ない。
けれども。
身体の水分含有量も少ない様に感じられる。
中嶋は細胞に含まれる水分が減り、自分がからからに乾いてしまっている気がした。

不意に耳が反応した。
中嶋は荒く椅子から立ち上がると大股で部屋の扉に向かった。
「今までどこに行っていた。授業がないからと言って朝っぱらから」
扉を開けながら語気も鋭く言い放つ。
もう今の自分にそんな事を言う必要がないことはわかっている。
学生会の仕事は次期執行部に引き継いだ。副会長という役からも解放されている。
自分はもはや自由の身で、誰に振り回されることもない。
もう行方不明の会長を探して校内をうろつくこともない。
もとより休日は別行動をとることが多かった。始終べたべたしている会計部の二人でもあるまいしと、今まで中嶋は学生会に関する事以外で他人の行動に干渉したりしなかったが。
何故か、今は思うより先に口をついて言葉がでていった。
言葉がまるで意志を持っているかのようだ。
そんな自分に驚きを覚えた中嶋は。視線の先に思い描いていた人物と全く違う顔を見つけて軽く息をのんだ。
いつもの目線の高さよりもいくぶん下から、突然の剣幕にも動じない瞳が中嶋を見返していた。
「どこに…か。いつも通り会計室にいた」
西園寺郁は几帳面にそう答えると中嶋の肩越し、室内にその視線を向ける。
「なんだ西園寺。のぞきか」
「いないのか」
不機嫌を隠そうともしない中嶋に、西園寺は質問とも確認ともとれる言葉を投げてよこした。まっすぐに中嶋を見上げる目。
色の薄いガラス玉の様なその目に自分の像が歪んで映っている。
「一人だが」
それがどうした。中嶋はさもつまらなそうに言い捨てる。
西園寺が誰を捜し、自分の部屋を訪れたのか。誰が自分の部屋にいると思ったのか。
誰がいないのか。
その不在の存在を。
どこにもいないという事実を。
その人物の名前もろとも中嶋はあえて無視する。
怖いものから目を逸らす子供のように。
「なら結構だ。失礼する」
素っ気なく言って西園寺は身を翻した。興味のあるものがここにはないと言葉でも態度でも表すその様子が中嶋のカンに触る。
「そんなことを言わずよっていたらどうだ」
心にもないことを言いながら西園寺の腕をつかんだのはただの嫌がらせにすぎない。
案の定、不快そうに眉を寄せた西園寺が自分を振り返る。
さあ、来い。
根拠も何もないが、どんな言い合いも負けない自信が今の中嶋にはあった。しかし。嘲笑を浮かべながら待ち受けていた中嶋に、とりあうでもなく西園寺はため息を一つついて見せた。
「会計の仕事で急いでいるだけでな」
悪かった。そう言いながら西園寺はとらわれた腕を静かに取り戻す。ゆっくりとした物言いはいつもと違い子供に言い聞かせる様に思えた。
予想に反して西園寺の視線は柔らかかった。呆れたようにも、また気遣わしげにも見えるその目の色と同じものを。見たことがある。中嶋は思った。
昔。子供の頃。
年の離れた姉が浮かべてはいなかったか。
不意に、中嶋は自分がひどく子供っぽい行動をとっている気がした。
はずされた手を行き場もなくのばしたまま中嶋は動けなかった。西園寺がきびすを返してももう止めようとする気すらおきない。
中嶋は迷うように自分の手を見つめていた。





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