王者の呟き



『王様』と皆は俺を呼ぶ。
たいていは気軽に。ある者は好意を込めて。
ある者は揶揄を。尊敬を。
それら全てに俺は鷹揚に頷いてみせる。好意も敵意も分け隔てなく受け入れる。
皆同じだからだ。
俺にとって意味を持たないという一点において。周りから寄せられる感情はどれも変わりがない。
どんな愛情もどんな悪意も俺を動かすことはない。
周りの賞賛も非難も俺には価値がない。
俺にとって価値のあるものは。



「子供っぽい仕返しだな…ヒデ」
へたくそな猫の絵に丹羽哲也は苦笑を漏らした。
いつもの様に時間をつぶして学生会室に行けば、すでにそこには誰もいなかった。
空気もシンと落ち着いている。
この部屋が空っぽになってからかなりの時間がたったらしい。
いつもの椅子に座り自分を待っていたであろう人物のぬくもりもない。
誰もいない部屋に。それでもここに中嶋英明がいたらしい名残が丹羽を待っていた。
ディスプレイにわざわざ油性マジックで書かれた猫は、その口から魂のような吹き出しをぶら下げている。
「先に帰る。バカテツ」
少し右上がりの文字のメッセージ。
いつも澄ましているあの男はどんな顔でこれを書いたのだろう。
一見無表情に。
しかしその眉にただよっていたであろう感情に丹羽は思いをはせる。
怒りか?
呆れか?
諦めか?
堪えきれない思慕だろうか。
不細工な猫は自分を待ち、待ちかねて帰ってしまった中嶋の代わりの様に丹羽には思えた。

人差し指でその線をたどる。

今日は中嶋から再三にわたって学生会に顔を出す様に言われていた。
「今日中に決めて欲しい案件がある。ふらふらしないできちんと来い」
「ああ」
行く。と自分は答えた。
学生会室で待っていると中嶋は言った。
その目のひたむきさが忘れられなかった。
なにかの感情を押し殺している瞳だった。
仕事上のことだったのかもしれない。友人としてだとしても。
心から自分を求めている。そんな目をしていた。

もう少し早く来てやればよかったな、ヒデ。
そこにはいない人物の喉を愛撫する様に、猫のあごの線を撫でながら丹羽は独りごちた。
俺を待つことに疲れたお前が、油性マジックを手にした時に。
扉を開けた俺を見てお前はどんな表情をうかべたろう。
どんな皮肉めいた物言いで俺を非難するだろう。
中嶋の不安が安堵に変わる瞬間を丹羽は見たかった。
自分の中には手に負えない質の悪い自分がいる。
丹羽を王様と呼ぶ周りには決して知られることはない。
それはただ一人しか知らない。その一人を。
傷つけたい。
そう思う自分がいる。

あの端正な顔を苦痛に歪ませたい。
力強く睨む瞳を潤ませたい。
あの男の涙はどんなにか甘いだろう。
あの男の傷を自分の舌で癒したいのだ。
噛み傷に滲む血を見せつける様に舐めとりたいのだ。

屈辱と恋情に揺れる顔はどんなにか綺麗なことだろう。

丹羽の口元に色悪めいた笑みが浮かぶ。
さあ。まずは会いにいくか。
猫の絵は勘弁してくれと哀れっぽく懇願してやろう。
丹羽は身をかがめてディスプレイの猫にキスをすると身を翻して学生会室を後にした。


中嶋英明に会うために。







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